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川敬商店

       ▲北部地震前の社屋 仙台から北東へ40km、米どころとして有名な大崎平野の最東部に位置する美里町は、鳴瀬川の左岸に沿って弓形に位置し、町の総面積の76%を水田が占めています。 「日本一おいしい米ササニシキ」の里として全国的に有名な当地は、鳴瀬川と江合川に挟まれた清流によって潤され、肥よくで豊かな自然に恵まれています。 治水技術が進んでいなかった頃は、豪雨のたびに鳴瀬川、江合川が氾濫し、町民一丸となって自然のもたらす悪条件と闘いながら過酷な自然条件のなかで、より付加価値の高い農作物の栽培や農産加工品の開発に力を注いできました。現在では手作りハムや和牛(仙台牛の産地)、バラの栽培やこがね餅など和菓子など多くの地場産業へ立派に育ちました。 川敬商店の沿革  明治35年創業。昔ながらの伝統「山廃仕込」を今に伝承する県内でも数少ない蔵元です。代表銘柄黄金澤の名前は、湧谷藩主伊達家の御用商人(金物商)をしていた初代川名家の創業の地が日本で最初の金の産地で、万葉歌人、大伴家持の歌にも詠まれ、遠く奈良時代の大仏の鍍金用として献上したこで有名な遠田郡涌谷町にある黄金山神社の傍らの澤の近くだったことから「黄金澤」と命名いたしました。明治35年、川名敬治が、大崎一の穀倉地帯南郷町に自作田を求めて移転してから酒造業を始めました。現在の生産高は700石、特定名称酒と普通酒の割合が4対6と普通酒の方が若干多く、普通酒では地元での圧倒的なシュアを占めております。生産量の5割が地元遠田郡を中心とした松島、塩釜などで消費されており、特定名称酒を中心に仙台や首都圏へも出荷しております。黄金澤大吟醸平成8年、9年、12年、13年全国鑑評会金賞受賞特に平成12年度は見事3冠達成しました。全国鑑評会金賞受賞・東北新酒鑑評会吟醸酒受賞・南部杜氏自醸清酒鑑評会優等賞受賞。今まで全国鑑評会では、金賞の他銀賞も6回連続受賞しています。 川名正直社長の山廃にこだわる理由は?! 川名社長の仕事は、秋口には米の手配から造りの準備、そして冬には本番の酒造り、春からは毎日の酒の管理まで、加えて毎日の営業計画から大口顧客への営業活動、愛用のパソコンを駆使しての酒パンレットの作成までこなすオールマイティーな社長です。特に酒造りについては理論家として宮城の蔵元の間でも知られ、特に利き酒の確かさは県内でも随一と云われています。今まで何度か取材にお伺いし、親しみのある優しいお人柄に古里に帰ったようなリラックスした蔵の雰囲気の中で開口一番酒造りについて特に山廃造りについてお尋ねすると「酒はちゃんと作れば自然にいい酒に仕上がります。けっして難しいことではないんですよ。いま巷で流行している山廃について、造りが難しいとか、香りにクセのあるとか云われていますが、要所々をちゃんと作っていればいい香りがでますし、クセのないおいしい酒が出来上がるのです。昔からの伝統的な製法としての山廃造りは酒造りの原点です。山廃(生もと系)と速醸の一番の違いについては、酒が出来たばかりでは味の違いはほとんどありませんが、夏を越して熟成してからは大きく差がでます、よく秋上がりと云われるように山廃仕込みの酒は夏を過ぎて秋を迎えるころには味がのって喉ごしがよくなります。その違いは歴然としています。」特に川名社長が気を付けている造りについて一押し、お尋ねすると「大切な事は2点あります。1つは米の水切り、あと1つは麹造りですね。酒の成分は80%が水ですから水には特別なこだわりがあります。例えば酒母を作る時には酵母を育成するための栄養を与えるためアルカリ土類金属(カルシューム、マグネシューム、カリウムなど)の多く含んだ硬水で仕込みます。そのために長年の研究から見つけだした最適な山の水、鹿島台伏流水(硬度20゜以上)を使っています。その後のもろみの本仕込みの時には、キレイな酒質に仕上げるためアルカリ土類金属の少ない鳴瀬伏流水(超軟水で硬度1゜)で仕込みます。そのように工程によって使う水も違います。」淡麗辛口の風潮のなか、あくまで「旨み・こく」そして「あきのこない酒」にこだわり、社長自らが酒造りにたずさわり、お客様に喜ばれる酒を提供することが蔵元の喜びと日々研鑚している蔵元の姿勢には、ただ々感心させられました。全国鑑評会金賞連続受賞の秘訣は、川名社長のたゆまぬ研鑽の賜と実感いたしました。 山廃仕込みについて 酒造りにおいて、健全かつ順調にアルコール発酵を行わせるためには、無数の純粋な清酒酵母と酒造りの初期に雑菌の繁殖を抑える多量の乳酸が必要です。その目的のため酒母が造られます。酒母は乳酸を得る手段によって生もと系酒母と速醸系酒母があり、ほとんどの蔵(95%以上)では醸造用乳酸を添加することによって7日から10日間で製造でき操作も簡単なことから速醸系酒母を使っています。一方川敬商店では、天然の乳酸菌を約20日間かけ自然増殖に導くことによって必要な乳酸を生成させる生もと系酒母に酵母を培養し1ヶ月以上かけて酵母を育成します。その生もとの製造段階で行われる「*山卸」する工程(もと摺り)を省いた酒母を使って行う伝統的な醸造法です。特長としては酵母が健全に強く育っているので、もろみにいってもゆっくりと発酵し、アミノ酸の生成も多いため、生もと特有の香りと、味わいのある濃醇なお酒になります。*山卸・・・・江戸時代初期の生もと造りでは、蒸米と麹、水を半切桶に仕込んでから最初は手で混ぜて、とろりとなってから櫂で混ぜ、3人1組になって1日3回に区切り20日間ほど続けて櫂で混ぜてからもと桶に入れていました。それが江戸末期には櫂を混ぜる操作が短縮され2日間で櫂入れ作業を終える「山卸」の方法になりました。その時3人のリズムを合わせ同時に作業時間を計るため「もと摺り唄」を歌いながら作業をしていました。 小さい蔵だからこそ、みんなで知恵を出しあい、手間を惜しまず楽しく酒造りをしています。 ▲酒米を蒸したり、火入れの時に使う超特大の釜 ▲吟醸酒用の仕込みタンク ▲貯蔵タンク群 ▲酒造りはここから始まります。50年前から使用している孵卵器(酵母を培養する器械) ▲酒造りについてはついつい熱弁になってしまう川名社長(酵母を説明中) ▲川敬の宝としている貯蔵タンク(全国金賞は全てこのタンクから)

天賞酒造??

▲伝統ある旧社屋 当社は1804年(文化元年)創業以来、品質第一をモットーに 厳選された酒造米と仙台三清水の一つに数えられる当敷地内に 湧く清冽な仕込水そして南部杜氏伝統の寒造りと、三者相まっ て醸し出される旨口の味わいは、酒通に広くご支持を頂いて おります。平成元年からは全て特定名称酒のみ販売しています。 特に大吟醸は有機農法米を高精白して醸し出される最高の銘酒 です。先頃、中国の江沢民首相が来日した折、仙台を訪問し、 お飲みになった日本酒がこちらの蔵の酒だったということでも 有名です。 明治41年、皇太子嘉仁親王(大正天皇)の仙台行啓の折り、 蔵の酒をお買上げ頂いたことを記念し「天賞」と改名しました。

蔵王酒造

▲社屋 明治6年創業。現社長の祖父五代目渡辺佐吉氏により、25石の清酒を醸したことから始まりました。創業当時より一貫して品質本意の酒造りに専念しており、蔵王山系の伏流水を仕込水に、南部杜氏が低温長期発酵で醸しあげています。大吟醸酒からバイオ技術の低アルコール酒”花撫子”まで多くの製品造りに積極的に取り組んでおり、嗜好の多様化に対応して、多彩な商品を揃えている蔵元です。 白石の西北にそびえる蔵王山の名を因み、昭和6年に命名されました。

?轄イ浦

浦霞の本社蔵 塩竈市は日本三景松島湾の一部千賀の浦に面した人口6万1千人ほどの港湾都市です。古く江戸時代藩政期の塩竈は、藩主伊達氏の崇敬篤い塩竈神社の門前町として、また仙台の海の玄関口として仙台への荷揚げ港、松島遊覧の発着所として諸税免除等の恩恵を受けながら大いに発展しました。訪れる多くの旅人のために旅篭や歓楽街が神社の門前近くに軒を連ね、活況を呈していたと云われています。現在は年間558万トンの貨物を取り扱う商港として、168億円の水揚げを誇る漁港を有し松島湾の観光港も併せ持ち、全国的にも重要港湾として位置付けられております。 蔵元佐浦の沿革 享保年間に塩釜神社のお神酒酒屋として創業。佐浦家の初代・尾島屋富右衛門は、はじめ麹製造業を営んでいましたが、1724年に酒造株を譲り受け、以来塩竈神社の御神酒を醸し続けてまいりました。大正12年頃、東北地方で陸軍大演習があった時に、当時摂政官であった昭和天皇にお酒を献上する栄を賜りました。それを機に万葉時代からの歌枕であった塩竃を詠んだ源実朝の歌、「塩がまの浦の松風霞むなり 八十島かけて春やたつらむ」(金槐和歌集)から引用し浦霞と命名しました。昭和に入り、第二次大戦の戦時下でも製造を続けてまいりましたが、企業整備の波にのまれ、仙台酒造株式会社浦霞工場となりました。昭和30年代に入り、仙台酒造株式会社は解散となり、昭和31年10月1日に株式会社佐浦が誕生いたしました。蔵元佐浦は故平野佐五郎杜氏が中心となって南部杜氏修行の道場的な役割を担い、地酒の品質向上に大きく貢献致しました。その後、「浦霞禅」が吟醸ブームに火をつけ、全国の酒蔵で使われている酒造り酵母協会12号は佐浦から採取されたもので地酒ブームのさきがけとなりました。 酒蔵は観光桟橋からもほど近いところにあり、数十年前までは蔵の裏手まで船が入り、荷の積み下ろしを行なっておりました。 敷地内には江戸時代末期に建てられた土蔵や大正時代の石造りの蔵があり、仕込み蔵として現在も使用しております。これまで多くの鑑評会において数々の好成績をおさめております。国税庁主催の全国新酒鑑評会では本社蔵が平成7年、8年、9年、12年、13年と金賞を受賞しています。矢本蔵は平成11年、12年、13年と金賞を連続受賞しています。東北清酒鑑評会では毎年金賞に輝いております。平成14年東北清酒鑑評会では本社蔵・矢本蔵ともに 吟醸酒の部で優等賞を頂きました。 宮城の若きリーダー「佐浦社長」 今年(平成15年)は2月に入ってからも例年になく連日厳しい寒さが続いております。酒造りにとってこの寒さがなによりの自然の恵みです。その酒造りの最終段階「吟醸造り」が続く塩釜の株式会社佐浦を訪れました。宮城の酒蔵の中でも一ノ蔵と並んでダントツの石高を誇る蔵元の若き経営者13代目佐浦弘一社長は、280年の歴史を誇る蔵元佐浦の代表取締役社長として、日本酒造組合中央会評議員、宮城県酒造組合青年部宮城醸和会の会長、日本酒造青年協議会会長、そして東北青年清酒協議会監事など数々の要職についておられます。40才の佐浦社長は慶應義塾大学卒後日本コカ・コーラ株式会社に入社、その後経営学の勉強のため2年間ニューヨークでの留学を経て佐浦に入社いたしました。入社後、矢本蔵や研究棟の建設など数々の事業を成功に導き、昨年先代が亡くなられた後代表取締役社長就任されました。「造り酒屋の長男として生まれ、蔵人や瓶詰めの従業員、まかないのおばちゃんや事務所の人々、蒸した米の匂いやほのかに漂うお酒の香り、土蔵の倉のちょっとしめった空気、そんなものに囲まれて育ちました。日本酒は私たちの生活に潤いや安らぎ、豊かさをもたらしてくれる素晴らしいものだと思います。そして、そんな日本酒に関わる仕事ができることを心より嬉しく感じています。今後もより多くの人達に、日本酒の素晴らしさを伝えて行きたいと思っています。家訓というか酒に関していえば心を込めて良い酒を造って、お得意さんには誠意を持ってあたれという言い伝えみたいなものがあるので、それを守っていきたいと考えています。」との言葉どうりの優しく誠実な人柄と、その静かな物腰には人を引きつける魅力に溢れておりました。酒造りで一番大切なことは?と尋ねると「米・水はもちろんですが杜氏の酒造りへの熱意と卓越した醸造技術が一番大切です。」との答えが返ってきました。そのため佐浦では宮城の蔵元では唯一、平野部長以下本社蔵小野寺杜氏、矢本蔵鈴木杜氏とも通年杜氏として仕事に専念できる環境を整えております。浦霞の酒質について尋ねると「気軽に飲めて、飲みあきしない酒、自己主張が強くない酒です。なんと言っても料理と一緒に飲める楽しい酒が浦霞の目指す酒ですね。酒造りは杜氏に任せておりますが、蔵元として酒質の安定と向上を目指し、加えて新製品開発のため分析室や研究室を新設いたしました。」これからの酒造りについては、「日本の四季に合わせた季節感のある酒をもっと強化したいと思っています。私は、春先や夏は絞りたての酒で新酒の香りが良い生で飲む生酒、秋口にはちょうど酒も熟成してきてうま味が出たひやおろし、年末にはお燗をして飲んでも良いような酒、こういう従来の酒の中で季節に応じた酒を出していけば、消費者のみなさんに楽しく飲んでいただけると思っております。」アンテナショップとして、中央の情報を収集するため東京赤坂の日本酒バー「れくら」や東京銀座のワインバー 「グッドドール」 へ資本参加したり、地元の方々に日本の伝統文化としての酒造りへのご理解を深めていただくため4年ほど前から佐浦社長みずから講師となって「うらかすみ日本酒塾」を開いたり、、また醸和会主催で20代から30代の女性をターゲットにした「日本酒を楽しむ女性セミナー」を4回にわったて開いたり、宮城の蔵元の若きリーダーとして先見性に富み、積極果敢に活動されております。今まで宮城の酒蔵を取材した中で、特に佐浦で感じたことは次代を担う若いスタッフが多いこと、そして酒造りの王道を極めるため最新の分析機器を揃え、杜氏、蔵人、社員が一丸となって楽しそうに働ていることでした。 「私どもの願いは、私たちが心をこめて醸した酒を最高の状態で皆様方に味わっていただくことです。今後も、皆様により満足いただける品質と品格のある酒造りを続けるため最善の努力をし、宮城の地酒・浦霞として、日本文化の伝統を守っていきたいと考えております。」 酒造りの現場 昭和30年代、蔵元佐浦は、名杜氏とうたわれた平野佐五郎氏の元、南部杜氏の修行の場として全国に知れ渡っておりました。「良い酒を造るためには損得抜きでいけ」との11代社長の考えのもと、高品質の酒造りを目指し、平野佐五郎氏に酒造りを任せ、米を磨き、設備を整えました。その後、佐五郎の甥の重一氏を中心に若い杜氏があとを任されています。原料米は主に宮城県産の蔵の華、トヨニシキ、ササニシキ、ひとめぼれや八反、兵庫県産山田錦を使い、仕込み水は松島湾近くのやや硬水の井戸水を使用しています。酵母は自家酵母(浦霞酵母)を用い、低温でじっくりと時間をかけて発酵させます。各段階において基本に忠実に丁寧に造ることを心がけています。 本社蔵杜氏   小野寺 邦夫 (岩手県室根村出身)平成9年より本社蔵杜氏 平野重一氏に才能を見込まれ佐浦に入蔵。矢本蔵杜氏    鈴木 智 (地元塩釜出身)平成8年岩手県出身者以外では初めて南部杜氏協会より「南部杜氏」の資格を認定される。 現職南部杜氏最高の匠 平野 重一取締役製造部長(岩手県北上出身)平成元年 労働大臣表彰(現代の名工)平成五年 叙勲(勲六等瑞宝章)南部杜氏最高の証・首席大蔵大臣賞を4回受賞。(現役最高)…

墨廼江酒造

宮城の蔵元の中でも全国的に有名な墨廼江と日高見の蔵がある石巻市は宮城県の北東部、仙台市より東に50km、車で1時間の旧北上川が太平洋に注ぐ河口に位置し、市内中心部にある日和山公園からは、西に松島、東に牡鹿半島・金華山を望める風光明媚な景色が楽しめる町です。古くから、江戸廻米を中心とした海運、北上川舟運の交易基地として賑わい、また世界3大漁場の1つである金華山沖の漁場を有し、日本有数の港町・水産都市として食通にはこたえられない新鮮な魚介類や、ささかまに代表される水産加工品など海の幸に恵まれています。食通、酒通の町として、レベルの高い地酒が育つ土壌の中で墨廼江酒造は育ち、銘醸蔵として大輪の花が咲こうとしています。 墨廼江酒造の沿革 弘化2年創業。(1845年)澤口家の初代・澤口清治郎は、仙台・河原町で「泉屋」と云う屋号で山形から紅や呉服反物などを扱う商社(問屋)に生まれました。親族経営だった「泉屋」では、商人向きではなく、遊び人だった清治郎を息子・安治と共に、当時米の積出港として栄えていた石巻に別家に出しました。その後、本家「泉屋」より分けてもらった財産を元手に海産物問屋と穀物問屋を始めました。若くして他界した父に代わり事業を継いだ二代目・安治は商才に優れ、どんどん事業を拡大していきました。海産物問屋としては、三陸漁業権の七割を確保した程でした。本場静岡焼津より職人を呼び寄せて、石巻では初めて鰹節を製造し、ラッコ船にまで手を広げていきました。当時、蔵のある地域には水の神様を祭る墨廼江神社があり、その地名墨廼江を、そのまま酒名にして酒造りを行っていた井上家という商家がありました。初代・清治郎の代より井上家に酒米を納入していた縁もあって、造り酒屋を譲り受けて創業したのが1845年弘化二年のことでした。当時は酒造りの方はあくまでも副業的な存在で事業の柱は海産物問屋、穀物問屋でした。その後三代目・清治郎の時代になり、昭和3年約2600人の犠牲者を出した大津波が三陸海岸(三陸大津波)を襲い、本業の問屋業が壊滅的な被害を受け、その後酒造りが本業になったと言われております。その後四代目・安五郎、五代目・安右衛門と酒造り一筋に専念し、現社長・康 紀が平成11年10月に六代目に就任し現在に至っております。   初代本家泉屋の時に、一世を風靡した名力士谷風の父親が「泉屋」で番頭をしていたことから、谷風の商標を取得し、現在夏冬の限定品純米大吟醸に谷風の名が使われています。 澤口康紀社長の誠実な酒造り! 以前、卸店主催の宮城の地酒内覧会の会場で、内覧会終了間際、ただ一人、20以上ある各蔵のコーナーで出品酒の全てをきき酒をしている蔵の社長がいました、その方が今回紹介する墨廼江酒造6代目の澤口社長です。 その時のことをお聞きすると「私は蔵元として、きき酒の会場では、全ての酒をきくのが礼儀と思っています。ここの酒はきくが、あの蔵の酒はきかないとか、吟醸や純米はきくが本醸造はきかないお客様方がいらっしゃいます。私ども蔵元は、全てのお酒に対し真剣に精魂込めて造っているので、出品した全てのお酒をきいてほしいんです。そして全てのお酒を利くことにより、その蔵の造りについての思いが必ずや伝わってきます。」 社会人になるまで酒蔵を継ぐことなど考えなかった澤口社長は、武蔵大経済学部を卒業後、東京のタカキュー洋服店に勤め、気楽なサラリーマン生活をしていました。ところがタカキュー入社して2年後、父親の前社長が体調をくずしてしまい、親のたっての希望から、家業の墨廼江酒造に入社することになりました。当時の墨廼江酒造は、酒造業を経営する傍ら、夏場の閑散期にはビールや飲料を扱う問屋業も営む会社でした。当時は灘・伏見の清酒全盛の時代で、質より量を求める清酒業界の中で、浦霞の禅や一ノ蔵無鑑査が脚光を浴びつつある時代の中、酒造りに関心もなく育った澤口社長は、自らの酒造りの勉強のため、入社してすぐ滝野川にあった国税局醸造試験所(現在は広島にある国税局醸造試験所)に研修に行きました。その時、今の墨廼江酒造の基本となる数多くの出会いがありました。そこでは全国から集まる、蔵内最高の鑑評会用の出品酒を思う存分飲むことができ、初めて出品酒の持つ本物の酒のすごさを身をもって経験しました。澤口社長は当時を振り返って「醸造試験所での半年間は素晴らしい経験をすることが出来ました。全国から集まる鑑評会用の酒を連日連夜試飲することができ、自分の蔵の酒とのかけはなれた素晴らしい酒に出会い、ここでの半年間で酒造業を継ぐ心構えと酒造りへの情熱が芽生えました。」「当時の広島の醸造試験所は、酒造業の後継者は無料で研修を受け入れていただいた為、研修生は、ほとんど酒蔵の跡取りでした。その当時の仲間とは今でも親しくお付き合いさせていただいています。」 その後、会社に戻った澤口社長は、卸部門を切り捨て、桶売りを止め、大きなタンクを廃棄し、量より質の転換を目指して大リストラを断行しました。そして今までの努力が実り、地元ではもちろん、東京や仙台でも墨廼江ファンが数多く、宮城を代表する酒蔵となりました。「酒造りは、酒が好きでなければいけません。道楽と仕事が混在しているのが酒造りです。年ごとに、米の出来具合、気候や気温、水の温度など、酒の味わいに直接影響する要素が違うんです、酒造りは毎年が1年生ですよ。酒を造る時期は気を抜けません。」と語る社長は、「お客様と品質を大切に」を信条に、寒仕込みのシーズンには、社長自ら酒造りにあたります。「酒を造るには酵母と麹菌です。私たちは、この微生物たちが活動しやすい環境を整えてやることです。基本を忠実に守り、手間を惜しみません。その造りの中でも、最も蒸しを重視しています。長年の経験から、蒸しがうまくいけば、必ずおいしい酒が出来上がります。」 墨廼江酒造の目指す「綺麗」「品格」「飲み飽きない酒」を消費者の方々へ提供していきたいと頑張っています。 ▲米洗いの作業でザル取りしています。 ▲一番大切な蒸しの作業。 ▲酒母室で温度経過を計っています。

寒梅酒造

国道347号線から見える工場の外観。 全国的に有名な宮城米「ササニシキ」「ひとめぼれ」「ささろまん」の誕生の地古川は、仙台から車で北へ約1時間、県北の中心にあり、緑豊かな田園都市です。秋の収穫期を前に、稲穂がたわわに実っている田園地帯を進むと、多田川のたもとに、ひっそりとしたたたずまいの酒蔵が見えてきます、そこが新潟の越乃寒梅、埼玉の寒梅と並んで、日本の三寒梅と称される寒梅酒造です。生産量が380石の小さな蔵ですが、小回りの良さを活かした斬新な酒造りには定評があり、常に新しい酒造りに挑戦している酒蔵です。> 寒梅酒造の沿革 大正5年、岩崎酒造の名で創業されました。その当時、地域一帯15町歩以上を有する地主で、小作人から地代の代わりに集めた産穀米を使って酒造りを始めたのが事業の始まりでした。清酒「誉の高川」の銘柄で地元を中心に販売してましたが、昭和14年戦時下の中、米不足のため製造を中断しました。昭和32年、酒造りへの熱情から合名会社寒梅酒造の名で復活しました。生産量の中で純米酒が占める割合が50%と大変多く 吟醸を含めると全体の70%以上が本物志向の個性豊かな地酒で、純米酒以上全て冷蔵瓶貯蔵しています。そのため30坪の冷蔵設備とコンテナ2機の冷凍設備を有しています。酒造りに欠かせない宮水の”宮”と、 厳しい寒さに耐え万花に魁けて花開き、人々の心を和ませ、純潔な雄姿を表す”寒梅”、その実が結ぶようにと、「宮寒梅」の銘に込めて命名しました。 これまで国税庁主催の全国清酒鑑評会では、金賞を4度受賞し、東北新酒鑑評会でも多く受賞しています。高齢のため杜氏が引退されたため平成11年の仕込みから地元の蔵人4人と専務自ら酒造りに挑戦し見事東北新酒鑑評会の吟醸の部で優等賞を受賞しました。 岩崎社長の酒造りの基本は米?! 2町3反の自作田を持つ強みを生かし、様々な酒造米を栽培している寒梅酒造では、現在の酒米のルーツと云われているジャポニカ種の三大品種・・・愛国、亀の尾、神力で仕込んだ酒造りに挑戦しています。酒造りの基本は、米にあるとの信念で、米づくりから取り組んでいます。昭和53年から栽培を始めた「美山錦」は、寒さに強く大粒なのが特徴で、米の半分程度を削り取って醸す純米酒や吟醸酒には、欠かせない酒造米です。他に、ささにしきやひとめぼれ、まな娘、愛国なども栽培し、純米酒として製品化しています。亀の尾は、当地での栽培が難しいため、大潟村の鈴木秀則氏と契約した有機栽培米で仕込んでいます。神力も同じく当地での栽培が難しいため、熊本より取寄せています。「これからも、若い人をターゲットに、いろいろの米を使ってニーズの多様化にこたえていきたいと思ってます。」 岩崎 隆聡氏  (社長と杜氏を兼任)  学校卒業後、地元で営業など社会勉強後昭和59年家業の寒梅酒造へ入社。農家の仕事をしながら営業や蔵人を経験し、昨春杜氏が引退したのを機会に、製造責任者として本格的に自社の酒づくりに取り組んでいます。「酒造りは小さい頃から現場で見よう見まねで体で覚えました。でも本当は何もわからないんです。4人の蔵人たちがそれぞれの役割の中で杜氏の技をマスターしたおかげなんです。酒造りはチームワークだと思っています、全員一丸となって力を出し合ってこそいい酒が出来ます。酒瓶に私を含め蔵人全員の名前を刻んでいるのがその証です。自分たちがうまいと思えばそれを信じればいいんです。しして自分で一から造った酒がうまいといわれた時の幸せは、なんとも言えないません。まだ内緒ですが今年も新たな取組をします。酒造りに遊び心を持ちながら生産者の顔が見えるような酒造りをしたい。」酒造りは毎年一年生ですと話す岩崎専務の目に少年のような輝きを見ました。 現在の生産量は380石、大吟醸、純米大吟醸、純米吟醸、純米酒、本醸造酒など特定名称酒が全体の9割を占め、わずか1割が近隣の方々にご愛飲されるている普通酒です。8月行われた古川地区初呑み切り巡回指導でも今年の酒は今までになく濃醇に仕上がっていい出来ですねと5人の先生方からお褒めの言葉を頂きました。 愛国 愛国は昭和初期作付けされた米のひとつで、現在はほとんど作付けされていません。茨城の育種改良普及研究所から、132粒の種籾を譲り受け、自作田で3年かけてタンク1本分の米に育て上げた幻の米です。愛国で作った一粒の煌めきは、やや辛口で酸味のあるフルーティーな味わいが特徴です。 亀の尾 昭和初、中期までは作付けされていましたが、収量と病害虫に弱いことから今ではほとんど作付けされません。亀の尾の米は、タンパク質含有量が少なくため、酒米として優れているため芯の強い酒で出来ます、年数がたってもへたらず搾った時とかわらない酒質が保たれるのが特徴です。 神力 明治初期兵庫県の農家が偶然発見した品種で、大粒で風雨によく耐えて倒れにくく籾の外皮が薄くて脱穀しやすく、しかも食糧難の時代に、他の品種より3割近くも多く収穫できたことから、神のご加護による賜り物として「神力」と命名。神力で出来た酒は、香りがありふくらみのある酒に仕上がります。 ▲12月の初仕込み待つタンク → ▲仕込み蔵内部のタンク。 ▲実りの秋の刈り取りを待つ独特の赤い稲穂の愛国米…

?且R和酒造店

▲白壁に囲まれた情緒たっぷりの酒蔵です。。 中新田町には、幻の陶器として有名な宮城を代表する陶器「切込焼」などを展示している東北陶器文化館や、詩人宗左近氏が収集した「輪々コレクション」と呼ばれる縄文土器を集めた縄文芸術館、墨絵の大家で、日米で数多くの賞を受賞した河合敏雄氏の作品を展示している墨雪墨絵美術館など、数多くの歴史的施設が点在しています。昭和52年に日本有数のパイプオルガンと音響設備を誇るバッハホールが設立され全国的に有名になった中新田町は、ササニシキの本場、大崎平野の一角にあり、東北の屋根奥羽山脈の懐に抱かれ、舟形山系の弱硬水がふんだんに湧出し、伊達藩時代からの穀倉地帯として、宮城の酒どころとしても昔から知られております。その中新田町にあって医食同源を旗印に水、米、作りを徹底的に研究している酒蔵が?且R和酒造店です。  ?且R和酒造店の沿革 明治26年、初代伊藤和兵衛氏が家業の薬屋を廃業し、酒造業を始めたのが事業の始まりでした。そもそも造り酒屋の前身は、その地域の名家で大地主が多く、小作人の方々をねぎらうために、豊富な余剰米を使って、お酒を造って飲ませたと云うことです。しかし山和酒造店の初代和兵衛は、地主でも何でもなく、ただ酒屋をやりたいという熱い思いだけで始まったもので、無い無いずくしからのスタートであったようです。原料米の確保や、厳しい酒税の取り立て、蔵人の人件費の調達等、筆舌につくし難い苦労を重ねで今日に至ってます。「わしが國」は寛政年間(1787年~1800年)の伊達藩の愛唱歌で、仙台名物を歌った「わしが国さでみせたいものは、昔、谷風、今、伊達模様」より命名されました。 これまで多くの鑑評会において数々の好成績をおさめております。 厳正な審査の南部杜氏自醸清酒鑑評会での優等賞入賞30回(30回入賞工場は全国で4工場のみ) 平成11年東北新酒鑑評会吟醸酒の部で金賞を受賞。 平成12年東北新酒鑑評会吟醸酒の部で優等賞を受賞。 伊藤 智幹社長が吟味している酒造りとは?! 取材の時の定番「社長の酒造りに対するこだわりについて?」と尋ねると 20秒ほどの沈黙があり ・・・・・・・・・・・・・・、 「こだわりなどと云っているんではまだまだですね千葉さん。 酒造りはこだわりではなく、吟味することなんです。 以前は、水、米、そして酒造りにこだわりをもっていましたが、今では、こだわりではなく、その上のレベル・・・吟味することです。 私が目指している酒造りとは、もはや医食同源のレベルにまで高めることです。自然が一番です。作り手のまっすぐな心と共鳴しあった天然水を使い、吟味した最高の酒米を、洗米から仕込みの最終段階まで、昔ながらの愛情を込めた手作りの技法で熟成させて、初めて最高の酒となるんです。」 水・・・いままで水について研究し、科学の力を借り、医療用等に使われている超高磁力分離機を通して、クリーンで固有振動数の大きい、エネルギーの高い水を使ったり、試行錯誤していましたが、今は、自然の偉大な力の中で、地下の複雑な堆積層などを還流し、湧き出た自然の水が最高との結論から、 1週間に1日は、必ず最高の天然水を求め県内を回っています。現在使用している舟形山系湧水も最高の水ですが、現状に満足せず、飲んだ時爽やかな青空のような最高の水を求めて、県内を探し回っています。もちろん天然水にも超高磁力分離機を通しています。 「減農薬を無農薬と偽っている米が多い中、本当に無農薬ですか?」 の質問に、 米・・・昔は山田錦にこだわりましたが、純米酒以上は…

萩野酒造

▲文化財有壁本陣の向かいにある工場。 仙台から車で北へ約1時間40分、岩手と宮城の県境にあり、昔から交通の要所・旧奥羽街道の宿場町として栄えた面影を残す町金成は、平安時代金売吉次の親・炭焼藤太が金を発見、金が成る所としてその名がついたと云われています。 平安時代に坂上田村麻呂が蝦夷征伐の戦勝の礼として観音堂を建立、後に平泉討伐の折、源頼朝が金成に宿営し那須与一の扇の的に凝して舞ったのが初めと伝えられる祭り「小迫の延年」、松尾芭蕉の「奥の細道」や民話の中に金成の歴史とロマンが数多く残っております。 その金成で江戸時代末期天保年間に創業され、160年以上の長い歴史と伝統の中で酒造りに、飽くなき情熱を傾けている酒蔵萩野酒造です。 萩野酒造の沿革 奥州街道の宿場町として栄えた有壁の宿場・有壁本陣の分家にあたる萩野酒造は、江戸時代末の天保年間(1840頃)に創業されました。旧萩野村の地主だった萩野酒造の初代が、集めた産石米を、どのように活用するか思案をかさねた末、その米を使っての酒造りを始めたのが事業の始まりでした。大戦中は、米造りに使う釜などの金属類は全て徴収され酒造りを中断していましたが、戦後近隣農家の方々の協力をえて昭和23年酒造りを復活させ今に至っています。 酒米は全体の3割が、自作田と近隣農家と契約栽培してるいる美山錦、他にひとめぼれ、トヨニシキや山田錦、蔵の華などですが、他には備前の酒米雄町を使っています。水は酒蔵から1?`ほど離れた自社所有の霊堂山に豊富に湧き出る奥羽山脈の栗駒山を水源とする自然水(軟水)を使っています。特にその自然水は絶品で、見る人皆驚嘆するほどの美しさです。 これまで多くの鑑評会において数々の好成績をおさめております。最近の国税庁主催の全国清酒鑑評では、平成4年以降4回金賞を受賞、東北新酒鑑評会でも多く受賞しています。特に平成8年秋の東北新酒鑑評会に於いては首席で受賞しました。 佐藤 有一社長の鑑評会への取組とは?! 今から20年以上前に東北新酒鑑評会の審査員として、各酒蔵が出品する清酒の鑑評をしていた時、鑑定官からあなたのところでも出品したらとの誘いを受けたのがきっかけで、今の酒造りに目覚めました。 「自作田の美山錦使って、酒造りをしていましたが、自分なりにおいしい酒との思いから、純米特有のもったりとした純米大吟醸を造っていました。ところが、それでは鑑評会に入賞できないと知り思い切って切り替えました、それは醸造用アルコール加えてサラッとした吟醸香のある酒にすることです。醸造用アルコール加えることにより、サラッととした飲み口になり、日持ちがよくなり、色つきやひね香が出にくくなります。その酒造りにあった酵母を探すため秋田や青森、他の醸造試験場に行ったり大変苦労しました。いろいろな酵母をためし、その試行錯誤の末 精米歩合を35%におとし低温発酵でまろやかなで、調和のとれたさわやかな旨味と、果実のような芳醇な、フルーティーな香りのする吟醸酒ができあがり、鑑評会でも入賞するようになりました。」と話す佐藤専務。 続けて、今の酒造りについては「米・水・酵母を吟味し、杜氏の造りやすい環境を整え、麹室の大きさや作業効率を考えて仕込みの量を適正な規模におさえて造るように心がけています。味や香りにくせを付けないため”槽搾り”と云う昔ながらのやり方で酒を搾っています。搾った時、生まれが軟らかい吟醸香のある味はばのひろい酒は飲み頃なので最初から冷蔵庫にいれて貯蔵しますが、搾った時水のようなしぶ酒のようなキリっと酒は、冷蔵庫に入れないで秋まで低温貯蔵し味ののりを良くして甘みを膨らませてから出します。あくまでも手で会話をしながら酒を造っています」とのこと。 その真剣な姿勢に、数々の鑑評会を総なめにしていながらも、まち子夫人と共に最高の酒造りを目指して新たな酒造りへ挑戦している佐藤社長の真剣さをうかがうことが出来ました。 酒造りについて 現在の生産量は500石、大吟醸、純米大吟醸、純米吟醸、純米酒など特定名称酒を中心に、その他は近隣の方々にご愛飲されている普通酒です。 瓶詰めと販売は、金の井酒造(株)と協同で運営しているさ々錦協同組合に委託しており、さ々錦ブランドで販売している銘柄もあります。 ▲造り蔵の入り口上に酒の神様「松尾神社」の神棚が飾られています。 ▲酒蔵の外観…