2004年に日本プロ野球史上初めて北海道を本拠地とした北海道日本ハムファイターズ。
ダルビッシュ有、中田翔、齋藤祐樹、大谷翔平といった人気、実力を兼ね備えた選手を育て、地域密着にも成功しました。
昭和または、20世紀中に優勝したのはたったの2回しかない弱小球団だったをご存知でしょうか。
21世紀にはもう5回も優勝してますが、なんと20世紀は5回しか優勝していないんです。
20世紀中に2回しか優勝できなかったのは、北海道日本ハムファイターズと横浜DeNAベイスターズだけ。
他の球団より劣ってしまった、弱かった理由とは。そしてなんで今は強くなれたのか。
ファイターズとしての初優勝までの軌跡と、日本ハム球団独特の経営戦略や育成方針を歴史と共に振り返ります。
北海道日本ハムファイターズ
会社名:株式会社北海道日本ハムファイターズ
創設:1945年11月6日(74年前
所属リーグ:パシフィック・リーグ
本拠地:札幌ドーム(北海道札幌市豊平区)
北海道日本ハムファイターズ歴代チーム名
セネタース(1946年)
東急フライヤーズ(1947年)
急映フライヤーズ(1948年)
東急フライヤーズ(1949年 – 1953年)
東映フライヤーズ(1954年 – 1972年)
日拓ホームフライヤーズ(1973年)
日本ハムファイターズ(1974年 – 2003年)
北海道日本ハムファイターズ(2004年 – 現在)
北海道日本ハムファイターズ獲得タイトル
アジアチャンピオン(1回):2006年
日本一(3回):1962・2006・2016年
リーグ優勝(7回)1962・1981・2006・2007・2009・2012・2016年
北海道日本ハムファイターズ球団の歴史
▷セネタース発足
1945年11月6日、戦時中の1943年に解散した東京セネタース(1935年創立)の中心人物だった
横沢三郎がセネタース再興を目指し、新規にセネタースを設立。再発足した日本野球連盟に加盟。1946年度のリーグ戦に、ゴールドスターと共に新球団として参加しました。
▷東急、東映から日拓を経て、大沢親分登場
2リーグ分立時のチーム名は東急フライヤーズ、1954年に映画会社の東映に譲渡されました。
62年は後に監督を務める土橋正幸や速球投手の尾崎行雄、3,000本安打を達成する張本勲らを擁してリーグ優勝、阪神タイガースとの日本シリーズも制して日本一に輝きます。
その後は時代の影響を受け、不動産会社の日拓ホームを経て、73年オフに日本ハムが球団経営に乗り出しました。
▷中西太・大沢啓二監督時代
初代監督は西鉄ライオンズ黄金時代を支えた中西太氏。中西の義父・三原脩が球団社長に就任しました。
この際に、チーム名を一般公募してファイターズになります。
新生・日本ハムファイターズの初年度74年は最下位。翌年も最下位となり、中西は監督を辞任。
中西の後任として白羽の矢が立ったのが、後年「親分」と称され、「球界の御意見番」を自認した大沢啓二でした。
大沢は長く南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)の監督を務めた鶴岡一人を支えた人物でした。
大沢の監督就任には、三原の推薦があったとも言われます。
▷オーナー・監督の奔走によって優勝請負人・江夏を獲得
大沢は監督就任当初の2年間こそ5位(通算順位。1973から82年までパ・リーグは2シーズン制を採用)ながら、78年には東映時代の67年以来、日本ハムとしては初の3位にチームを押し上げます。
しかし、80年まで3年連続の3位に終わると、80年オフにオーナーの大社義規(おおこそ・よしのり)とともに、チームの底上げに奔走します。
大沢・大社が目を付けたのは、79・80年に2年連続で日本一になった広島東洋カープの守護神・江夏豊でした。
大沢は大社とともに密かに広島を訪れ、カープのオーナー・松田耕平に対談を申し入れます。
監督の古葉竹識とともに現れた松田に、大沢は江夏のトレードを要望します。
最終的にファイターズのエース・高橋直樹とのトレードで決着し、江夏獲得に成功します。
▷リーグ優勝
翌81年、前期こそ4位に終わりますが後期に優勝、前期1位のロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)をプレーオフで降してリーグ優勝を果たします。
東映時代から19年振り、日本ハムが球団経営に乗り出して8年目のことです。
この年のセ・リーグの優勝チームは読売ジャイアンツ。当時のファイターズは巨人同様に、後楽園球場(現在の東京ドームの前身)を本拠地としていたので、日本シリーズは史上初めて全試合同一球場で開催されました。
弱かった理由の1つが、本拠地問題が解決できないまま50年も球団運営をやってたこと。日ハムが20世紀中に優勝した時の監督は水原茂と、大沢啓二です。
水原監督の時は、張本勲が打ちまくっている一方で、フロントとして援護できるだけのお金はなかったから、1回しか優勝していません。
大沢監督の時には、トニー・ソレイタが大暴れしたから勝てたが、投手の方は、かなり力押ししてしまったため、岡部憲明や木田勇などは、1年2年でだめになってしまった背景などがありました。
独特の経営戦略や育成方針でここまで強くなった北海道日本ハムファイターズなのです…!