萩野酒造

▲文化財有壁本陣の向かいにある工場。

仙台から車で北へ約1時間40分、岩手と宮城の県境にあり、昔から交通の要所・旧奥羽街道の宿場町として栄えた面影を残す町金成は、平安時代金売吉次の親・炭焼藤太が金を発見、金が成る所としてその名がついたと云われています。

平安時代に坂上田村麻呂が蝦夷征伐の戦勝の礼として観音堂を建立、後に平泉討伐の折、源頼朝が金成に宿営し那須与一の扇の的に凝して舞ったのが初めと伝えられる祭り「小迫の延年」、松尾芭蕉の「奥の細道」や民話の中に金成の歴史とロマンが数多く残っております。

その金成で江戸時代末期天保年間に創業され、160年以上の長い歴史と伝統の中で酒造りに、飽くなき情熱を傾けている酒蔵萩野酒造です。

蔵推奨銘柄

萩野酒造の沿革

奥州街道の宿場町として栄えた有壁の宿場・有壁本陣の分家にあたる萩野酒造は、江戸時代末の天保年間(1840頃)に創業されました。旧萩野村の地主だった萩野酒造の初代が、集めた産石米を、どのように活用するか思案をかさねた末、その米を使っての酒造りを始めたのが事業の始まりでした。大戦中は、米造りに使う釜などの金属類は全て徴収され酒造りを中断していましたが、戦後近隣農家の方々の協力をえて昭和23年酒造りを復活させ今に至っています。

酒米は全体の3割が、自作田と近隣農家と契約栽培してるいる美山錦、他にひとめぼれ、トヨニシキや山田錦、蔵の華などですが、他には備前の酒米雄町を使っています。水は酒蔵から1?`ほど離れた自社所有の霊堂山に豊富に湧き出る奥羽山脈の栗駒山を水源とする自然水(軟水)を使っています。特にその自然水は絶品で、見る人皆驚嘆するほどの美しさです。

これまで多くの鑑評会において数々の好成績をおさめております。
最近の国税庁主催の全国清酒鑑評では、平成4年以降4回金賞を受賞、東北新酒鑑評会でも多く受賞しています。特に平成8年秋の東北新酒鑑評会に於いては首席で受賞しました。

佐藤 有一社長の鑑評会への取組とは?!

佐藤 有一専務

今から20年以上前に東北新酒鑑評会の審査員として、各酒蔵が出品する清酒の鑑評をしていた時、鑑定官からあなたのところでも出品したらとの誘いを受けたのがきっかけで、今の酒造りに目覚めました。

「自作田の美山錦使って、酒造りをしていましたが、自分なりにおいしい酒との思いから、純米特有のもったりとした純米大吟醸を造っていました。ところが、それでは鑑評会に入賞できないと知り思い切って切り替えました、それは醸造用アルコール加えてサラッとした吟醸香のある酒にすることです。醸造用アルコール加えることにより、サラッととした飲み口になり、日持ちがよくなり、色つきやひね香が出にくくなります。その酒造りにあった酵母を探すため秋田や青森、他の醸造試験場に行ったり大変苦労しました。いろいろな酵母をためし、その試行錯誤の末 精米歩合を35%におとし低温発酵でまろやかなで、調和のとれたさわやかな旨味と、果実のような芳醇な、フルーティーな香りのする吟醸酒ができあがり、鑑評会でも入賞するようになりました。」と話す佐藤専務。

続けて、今の酒造りについては「米・水・酵母を吟味し、杜氏の造りやすい環境を整え、麹室の大きさや作業効率を考えて仕込みの量を適正な規模におさえて造るように心がけています。味や香りにくせを付けないため”槽搾り”と云う昔ながらのやり方で酒を搾っています。搾った時、生まれが軟らかい吟醸香のある味はばのひろい酒は飲み頃なので最初から冷蔵庫にいれて貯蔵しますが、搾った時水のようなしぶ酒のようなキリっと酒は、冷蔵庫に入れないで秋まで低温貯蔵し味ののりを良くして甘みを膨らませてから出します。あくまでも手で会話をしながら酒を造っています」とのこと。

その真剣な姿勢に、数々の鑑評会を総なめにしていながらも、まち子夫人と共に最高の酒造りを目指して新たな酒造りへ挑戦している佐藤社長の真剣さをうかがうことが出来ました。

酒造りについて

現在の生産量は500石、大吟醸、純米大吟醸、純米吟醸、純米酒など特定名称酒を中心に、その他は近隣の方々にご愛飲されている普通酒です。

瓶詰めと販売は、金の井酒造(株)と協同で運営しているさ々錦協同組合に委託しており、さ々錦ブランドで販売している銘柄もあります。

神棚

▲造り蔵の入り口上に酒の神様「松尾神社」の神棚が飾られています。

外観

▲酒蔵の外観

タンク

▲仕込み蔵内部のタンク

釜

▲酒米を蒸したり、火入れの用の釜

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